朝起きてみると、今日もピーカン!ラッキー!(^O^)

 この日は、朝9時から観光タクシーを予約していたので、それまでにホテルのレストランで朝食を食べました。
 プランの中にホテルでの朝食はついていて、2つのレストラン(沖縄料理を中心とする和食と洋食のバイキングか、一般的なホテルの朝食、洋食、サンドウィッチを中心とするバイキング)から選ぶことになっていたので、迷わず沖縄料理のほうへ行くことにしました。

 レストランに向かう途中、アトリウムに水槽があり、そのなかにいろいろな熱帯魚がいたのですが、ひときわ目をひくオレンジと白のストライプなやつがいました(笑)
 それは、イソギンチャクととっても仲良しなクマノミという熱帯魚。
 ゆらゆらと揺れる中で気持ちよさそうにジャレる姿がなんともかわいいですね〜

イソギンチャクととっても仲良しなクマノミ。
一途な性格らしく、イソギンチャクとの組み合わせは決まっているらしい

 レストランに入り、料理を取りに行くと・・・ゴーヤチャンプルがない!(^_^;)
 どうやら料理は日替わりで、この日はゴーヤチャンプルはない日だったようです。
 沖縄に来たからには必ず食べてから帰ろうと思っていただけにちょっと残念でしたが・・・その他の料理も充分おいしかったので、充分満足しました。
 特に沖縄で獲れるカレイの網焼きがおいしかったので、平らげた後にもう一度取りに行って、日頃しないご飯のおかわりまでしてしまいました。
 あと沖縄そばもあったし、モズクの味噌汁も珍しくておいしかったな〜・・・結局食べ過ぎてしまいました。

レストランは天井も高く開放的で、とても広い! 沖縄ならではの食材が並んでいました

 朝食後、部屋に戻り出かける準備をして、9時に待ち合わせ場所のフロントに行くと、すでにタクシーの運転手さん(以降ガイドさん)が待っていました。
 あいさつを済ませ、さっそくタクシーで出発!

 沖縄では、移動手段が車以外では考えられないため、「レンタカーを借りた方がいいのかな?」とか思っていたのですが、道はわからない、車の運転は慣れないでは時間のムダだろうということで、昨日の時点で予約を入れておいたのですが・・・やはり正解でした。
 自分で運転してその場所に行ったとしても、見ただけでわかるものと、話を聞かなければわかりようのないものがありますし、また、沖縄のような歴史的に知るべき部分が多い観光地では、見ただけではわからないものがとても多かったと思います。

 例えば、タクシーに乗って最初に車を止めて教えてくれたのがこの写真。
 なんだかわかるでしょうか?

 これは、沖縄独特のお墓だそうです。
 まん中のポコッとふくらんでいるところは女性のお腹の部分をあらわしており、周りの円の部分は足をあらわしています。
 そして、お骨は中心にある扉から中へ入れて安置する、ということでした。
 沖縄では、人は命を終えた時には母体へ帰るという考え方からこういう形式のお墓になっているそうで、写真のお墓もかなりの大きさなのですが、ごく一般的な家のお墓なんだそうです。
 さすがに最近はお墓が小型化していく傾向にあるそうですが・・・


 さて、タクシーが最初に向かった先は、沖縄のシンボル、首里城。
 首里城は北山、中山、南山と3つに分かれていた沖縄を、南山の有力者の息子であった尚巴志が統一し、もっとも立地が良い中山の拠点であった首里城を増築し、王国の首都として築き上げました。

 城の入り口にはいわずと知れた守礼の門があり、そこから歓会門を通って階段を登り、瑞泉門をくぐってさらに進むと広福門があり、そこより先は有料となります。
 入場料は大人800円と、割と高めですね〜(^_^;)

2000円札で有名な守礼の門
「琉球は礼節を重んずる国である」という意味があるそうです
歓会門(かんかいもん)
沖縄式の石の積み方は3種類あるそうで、
それが間近で見るとよくわかります。
瑞泉門(ずいせんもん)
沖縄の石壁の特徴は、角の部分が少し跳ね上がるように尖っているのですが、
それ自体に大きな意味はないそうです。
さすがにお城なだけあって高台にあり、景色は上々!
これだけ晴れていても、突然雨が降ってきたりしました

 さて、入場料を払って奉神門をくぐり、首里城の正殿、南殿、北殿、奉神門に囲まれた御庭(うなー)という広場に出ます。
 ここは琉球王朝におけるさまざまな儀式が行われた場所で、国内の行事の場合は王は玉座のある正殿2階から姿を見せ、下手にあたる広場側に家臣が並ぶような形で行われたそうなのですが、琉球国王の戴冠式の場合は正殿正面の上手にあたる位置に中国からの使者が位置し、その下手に新しい国王がひかえるという形で行われたそうです。
 これは、琉球国王は当時中国との結びつきが非常に強く、国王も形式上中国の王が任命するような形になっていたためにそういう形になったそうで、文化的にも政治的にも日本よりもむしろ中国に大きな影響を受けてきたというひとつの証明とも言えるかもしれませんね。
 ちなみに琉球王朝開国の祖、尚巴志の「尚」という性は、明から与えられたものだそうです。

 話を聞いていて面白かったのは、この国の最高権力者は実は国王ではなかった、ということです。
 国王の権力の他に、イタコのような霊能力をもつ「神女」という女性の組織があり、そのトップ「聞得大君」には前国王の妻だとか、母だとかの親族の女性が就任し、国王に誰を即位させるのかという事にも絶対的な影響力をもっていたんだそうで、この人に逆らえば国王といえどもその座から追われるほどの権力を握っていたんだそうです。
 実際そういう形で国王の座を追われた王もいたとか・・・女性とは恐ろしいものですなぁ・・・A(^_^;)

首里城正殿 正面2階に玉座がある
建築様式は中国の影響が強いようですね。
南殿 建築されたのが薩摩侵攻後なので、
建築様式も日本風になっていて、塗装された記録もないそうです
琉球王の玉座
左上の写真の2階正面奥に位置している。

 琉球王国、尚王朝の歴史は、第一尚氏、第二尚氏と分類することができ、両尚氏には血のつながりはありません。
 第一尚氏の開祖は前述した尚巴志なのですが、この王朝は内乱と外征の連続で政治的に不安定で長続きしませんでした。
 最終的に農夫出身の金丸(かなまる)という人のクーデターにより第一尚氏は滅ぼされ、金丸が中国とのそれまでの関係を重視し、尚円(しょうえん)と改名して第二尚氏王統を開きます。
 第二尚氏は約400年続いたのですが、1609年に薩摩藩に侵攻を受けて以来270年間は、表向き中国の支配下にありながら、実は薩摩藩と徳川幕府の従属国としての複雑な立場に置かれます。
 中国に日本との関係を明らかにしないように命令したのは、薩摩としては琉球王国から年貢を召し上げることが目的だったから、という話でしたが、よくもまぁ、270年もの間そういった関係を維持したものだと感心してしまいますね・・・
 薩摩の侵攻以降、琉球王国は経済的に困窮していきます。

 最終的には明治政府により首里城から王を追放し、琉球王国は滅ぶことになります。

 ちなみに尚氏の家系は今も続いており、その家もガイドさんに連れて行ってもらって見ることができましたが、かなり立派なものでした。
 第二尚氏の王家の墓として作られ、世界遺産にも登録されている王陵(たまうどぅん)は今も使われており、現在の尚氏の末裔も、亡くなればそこに入ることになっているんだそうです。

 現在の首里城は、第2次大戦中にアメリカ軍に空爆を受けて全焼したものを、資料にもとづいて復元したものです。
 明治政府が首里城を占拠して以降、首里城は日本軍の兵舎や学校として使用され、第2次大戦中には首里城の地下に日本軍指令本部が設置されたことで、アメリカ軍の攻撃目標とされ猛烈な砲撃を受け、炎上。
 終戦後は琉球大学がその土地を使用していたのですが、大学の移転を受けて1992年、焼失から47年ぶりに首里城が再建されたのでした。

 沖縄の歴史については今回初めて知りましたが、これだけ小さな島国でありながら、東アジア諸国との交易を成立させ、国を維持し、他国と違う文化を作り上げてきたたくましさには本当に驚かされました。

 沖縄は、日本に侵略された上、第2次大戦では唯一の地上戦の戦場になって最大の戦争被害を受けてアメリカに併合されるという、本当に気の毒な国なのですね。
 今もその傷跡は島の大部分を占めるアメリカ軍の基地という形で残っているし・・・
 日本に返還されたとはいえ、沖縄の人々にとっては「日本人」という意識よりも「琉球人」としての意識のほうが強いのではないでしょうか。


 さて、首里城を後にして、続いての目的地はみーばるビーチ。
 ここでは、海底観光ガラスボートに乗り、サンゴと熱帯魚を見ることができました。
 ビーチに到着すると、そこは本当に美しい海岸でした!
 船が出航するまでに少し時間があったので写真と、ビデオを撮りまくりました。

 いざ出航すると、なんと乗客は我々2人だけ。貸切り〜♪
 出航前にガイドさんに、「ポイントにつくまではガラスの下を見ないようにして下さいね」といわれていたのですが、興味本位で見てみると・・・たしかにこれは酔う!(-_-;)
 空気の泡と、海底のサンゴなどが高速で流れていくさまはさすがに長く見ていられないものでした(苦笑)

 第1のポイントにつくと、そこは小型の熱帯魚が集まるところでした。
 さすがに全部の魚の名前はわかりませんが、そのなかには例のイソギンチャクとお友達のクマノミちゃんもいました。それも、見たこともないほど大きいやつ!
 第2のポイントに移動すると、そこは先ほどよりも水深が深くなり、少し大きめの熱帯魚がいました。
 そして第3のポイントに移動すると、ものすごい数の魚が集まってきました!
 どうやら船がやってくると餌をくれるのがわかっているらしく、ボートの下にも、周りにもおびただしい数の魚がいるのが見えます。
 餌付け用の餌を買って餌を投げ入れると、それはもう壮絶な奪い合い!見ていてけっこう楽しめました(^^;;;

 ここらへんのポイントでは漁が認められていないそうなので、魚のほうでは身の危険を感じていないようですね。

船底のガラス越しにはこんな感じに見えます。
ただ、タイミングが難しくていい写真は撮れませんでした・・・
餌を投げ込んだ直後の奪い合い!かなり壮絶です!
右の写真など特に、水面から見て魚がいないところがありません。

 岸に戻り、みーばるビーチを後にして今度は「おきなわワールド(旧玉泉洞王国村)」へ。
 この「おきなわワールド」には、日本で2番目に長い鍾乳洞「玉泉洞」があり、主にそこを見てきました。
 玉泉洞は、全長5kmのうち890mが観光用に公開されています。
 おきなわワールドの入り口を入ってすぐに玉泉洞の入り口があり、そこに入って階段を降りていくと・・・ひんやりした空気を感じ、「中はかなり涼しいのかな?」なんて思っていると、洞の中はかなり湿気が多く、まとわりつくような感じで涼しくはありませんでしたねA(^_^;)

おきなわワールドの入り口 ツララのように垂れ下がる、おびただしい数の鍾乳石
真下に立って上を見上げると、先端恐怖症の人はかなり怖いでしょうね(笑)
「黄金の盃」と名づけられた超巨大な鍾乳石。
高さ2.5m、外周はなんと31mもある!
「黄金の盃」からこぼれた地下水はかなり透明度が高く、
波紋が芸術的ですらある。
「白銀のオーロラ」と名づけられた鍾乳石 板状の鍾乳石が集まってできた
「絞り幕」と名づけられた鍾乳石

 この鍾乳洞は、30万年もの長い時間を経て作られた自然の芸術です。
 たて看板には「鍾乳石が1cm伸びるのには約3年もの時間がかかります。絶対に折ったりしないでください」と書かれていました。
 思っていた以上に迫力のある光景に圧倒されながら、890mの違次元空間の旅を終えて地上へ・・・

 地上へ出てから駐車場へは、ちょうど「おきなわワールド」を端から端まで歩く形になります。
 ただ、時間が押していたために、足早にさわり程度の説明を受けながら通り過ぎました。
 「おきなわワールド」には玉泉洞の他に琉球ガラスの工房、熱帯フルーツ園、昔の民家をそのまま移築した琉球王国城下町、ハブ薬草酒工場、ハブ博物公園などがあります。

熱帯フルーツ園になっていた名称不明な果実
沖縄原産ではないらしいが、
この他にも沖縄とは関係ない熱帯植物がいっぱい!
これは見たまんま、パイナップルですね。

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