おきなわワールドを出発して、今度は観光タクシーツアー最終目的地、「ひめゆりの塔」
 「ひめゆりの塔」は何度も映画化されているので詳しく知っている人が多いかと思いますが、恥ずかしながら自分はあまりよく知りませんでした。
 沖縄戦で犠牲になった女学徒動員看護部隊「ひめゆり学徒隊」の墓碑だ、ということくらいは知っていましたが・・・

ひめゆり平和祈念資料館
時間がなくて見ることができなかったのが残念でした・・・

 「ひめゆり学徒隊」の「ひめゆり」とは、花のヒメユリとは関係ないということを、ガイドさんに聞いて初めて知りました。
 沖縄師範学校女子部と第一高等女学校の生徒で構成された「ひめゆり学徒隊」の名前の由来は、沖縄県女子師範学校の校友会会誌「白百合」と、沖縄県立第一高等女学校の校友会誌「乙姫」を合わせて「ひめゆり」としたのだそうです。

 「ひめゆり学徒隊」は旧陸軍病院第1外科、第2外科、第3外科に配属された看護部隊でした。
 当初219名いた学徒隊のうち、最終的には123名が死亡、もしくは行方不明になってしまいました。

 この死者のうちの大半は、沖縄戦の終戦日である6月23日からさかのぼって1週間以内に亡くなってしまったのだそうです。
 当時の日本軍沖縄守備隊の司令官は生粋の軍人で、「生きて辱めを受けるなら、玉砕への道を選ぶのみ」という人だったそうで、部下からの降伏の進言も、敵将バクラー中将からの降伏勧告も無視して玉砕への道を突っ走り、民衆を巻き添えにしていたずらに戦死者を増やしてしまったということを、ガイドさんは心底怒っていましたね。

 「半月早く降伏していれば、戦死者は少なくとも半分以下だったはずなんです。私の母も戦争を生き抜いてきた女性なのですが、その母が今でも言っています。『アメリカ軍よりも、友軍(日本軍)の方が怖かった』と。日本軍は、本来なら民衆を守るために戦うべきなのに、民衆を盾にして自分たちは逃げ延びようとしていたのです。首里城から南方へ撤退するとき、南方の避難壕にはすでに民衆が逃げ込んでいたのに民衆を追い出して自分たちが入ったり、壕の中で子供が泣いていると、敵軍に見つかるからといって子供を窒息させて殺したりしていたのです。そういう光景を見ていれば、それは味方の軍隊の方が怖いと感じて当然でしょう。」
 と、本当に悔しそうに話してくれました。

 「ひめゆりの塔」として観光地となっているのは第3外科の壕があったところで、同じように被害を受けた第1外科、第2外科の壕の後には観光客も、訪れる人も少ないことに運転手さんは心を痛めているそうで、自分がガイドをする時に、時間があるお客さんはできるだけ第1外科、第2外科の壕の跡に連れて行くそうです。
 できれば自分たちも連れて行ってもらいたかったのですが・・・時間が無かったので行くことはできませんでした。

 そして、女子学徒隊は「ひめゆり学徒隊」だけでなく、「白梅学徒隊」「ずいせん学徒隊」など6部隊あり、それぞれ多大な死傷者を出したのだそうです。
 「ひめゆり学徒隊」だけでなく、他の戦死者にも目を向けてもらいたいという気持ちが痛いほど伝わってくる、地元の人の思いがこもったガイドさんのお話でした。

 さらに・・・「白梅学徒隊」生き残りの人の証言もお話してくれました。
 「女子学徒隊は、看護部隊として戦闘部隊と行動を共にしていました。その中では、兵士による女学徒への強姦が行われていたそうです。その被害者に、『なぜ逃げなかったのか?』と聞くと、『自分が逃げれば、同級生が同じ目に遭ってしまう。だから逃げることができなかった』とおっしゃっていました。そういうイメージの悪い部分は、いつだって表に出てくることはないんです。日本政府としては美談として扱いたいでしょうからね。でも、こういう汚いことを旧日本軍はやっていた、ということを伝えることも必要なことなんですよ」

 ・・・聞いていて虫唾がはしるというか、なんともおぞましい話です。
 前述した、民衆を盾にした戦い方といい、本当に腐りきった軍隊だったんだとあらためて思わされました。

 今回このページを作るために沖縄戦史を少し調べてみたりしましたが、読んでいて悲しくなってくるような事ばかりです。
 沖縄は、本土を守るために捨石にされていた・・・本土への攻撃を少しでも遅らせるための時間稼ぎに利用されたということがわかってきます。
 大規模なアメリカ軍の上陸作戦があることは予想できたにもかかわらず、増援をおくることもなく、女、子供まで戦闘に参加させろという信じられない命令を日本軍は出しているのです。(これは沖縄に限った事ではありませんでしたが)
 日本政府は沖縄の人々をあまり信じていなかったようで、沖縄の方言も禁止され、それを理由にスパイ容疑で処刑するなどというとんでもないことも行われていたようです。

 海軍司令官、大田実少将(死後中将へ昇進)は、海軍次官へ向けた玉砕の決別電で、「沖縄県民かく戦へり。県民に対し、後世特別の御高配を賜らんことを」と記していたそうです。
 通常決別電というのは「天皇陛下万歳」や「皇国の弥栄を祈る」などといった言葉で締め、勇ましい戦いの報告を綴るものだったそうですが、そこにはひたすら、第2次大戦唯一の地上戦となった沖縄戦の惨状と、沖縄県民の苦しみを訴えるものだったそうで、軍にそれらを顧みる余裕がなかったことを悔いた後、「沖縄県民はこのように戦ったのだから、後世沖縄を決しておろそかにせず、平和になった暁には沖縄県民に格別の配慮をしてほしい」という願いで締めくくられていたそうです・・・

 ガイドさんのお話ではこの司令官は、戦況が悪く敗色濃厚になったのを見て、沖縄方面の総司令官に降伏を進言したんだそうです。
 しかしこれを却下され、自身も最後までアメリカ軍と戦い、海軍壕内で自決してしまいます。
 沖縄県民に唯一配慮を示したこの司令官は、現在でも沖縄県民に良く思われているようでしたね・・・
 ガイドさんも、「大田司令官の進言を聞いていれば、特に民衆の戦死者は相当少なかったはずなのに」と悔やんでいました。
 旧日本軍の中にも、こういう冷静な判断のできる人もいたんだなぁと思うと、少しは救われた気持ちにはなりますが・・・結果的には民衆に多くの戦死者を出してしまい、後世の配慮があるとは言えない現状からすると・・・一人の力ではどうにもならない事なんだという無力感も感じてしまいますね。


 ひめゆりの塔からホテルへ帰り、ガイドさんともお別れです。
 後になって考えるとやはり、ガイドさんは沖縄戦の話になると熱の入り方が違っていましたね・・・
 きっと、この悲惨な歴史を少しでも多くの人に知ってもらいたいという使命感のようなものをお持ちなのでしょう。

 たまたま申し込んだ観光タクシーでしたが、本当にこのガイドさんにめぐり合えて良かったと思います。いろいろ勉強になりましたm(__)m

ホテルのレストランのテラスからサンセットビーチを望む

 さて、夕方になり今度は、アラハビーチでの「マリンレジャー体験ツアー!」
 これも昨日のうちに予約しておいたのですが・・・本来、嫁さんはパラセイリングをやりたかったんだそうです。(自分はできれば御免こうむりたいところでしたが)
 ところが、ホテルへ行ってから予約しようと思っていたところ、いざ行ってみるとパラセイリングのツアーは扱っていませんでした。(私としてはラッキー♪(^O^)
 そこで仕方なく、地元「北谷海人の会」がやっているアクティブマリンツアーのマリン3チョイスで、細長いチューブ状のボートをジェットスキーで引っ張る「ドラゴンボート」、Uの字型をしたボートを引っ張る「Uチューブ」、平たいボートを引っ張る「バンパーチューブ」を申し込んでいたのです。

 ホテルでひろってもらい、内装がボロボロになってクーラーも効かないワゴン車でいざアラハビーチへ! 

アラハビーチ
サンゴでできたビーチで、裸足で歩くのはかなり痛い!

 アラハビーチへつくと、そこにはほとんど人がいませんでした。
 「あれ〜、今まさにトップシーズンのはずなのに、なんでこんなに人がいないんだろう?」と思いましたが、すぐにその理由がわかりました。
 なにせこのビーチ、大小さまざまなサンゴの鋭利なかけらによってできたビーチのようで、裸足ではとても歩けません。
 当然寝そべるなんてことはできないし、ビーチサンダルを履いていたとしても、海に入るとビーサンと足の裏の間にサンゴが入り込んでしまって、そりゃあもうものすごく痛いんです!

 そのビーチの真ん中にテントがたっていて、そこに係の人が4人ほどいました。
 そこでライフジャケットとヘルメットをつけて、まずはドラゴンボートに挑戦!

ドラゴンボート
思っていたようなのんびりした乗り物ではなかった!

 このドラゴンボート、実際に乗ってみる前はよくマリンスポーツのパンフレットにある「バナナボート」のイメージから、そんなに激しくない、のんびりと楽しむものだと思っていたのですが・・・これが大きな勘違いA(~_~;)
 ちょうど沖縄沖に台風が発生していて風がとても強く、波も高くなっていたためか、何度も吹き飛ばされそうになりました!
 しかも、ジェットスキーを運転するお兄ちゃんが、わざわざ自分で作った波に急角度にぶつかるように引っ張ってくれるので、そのたびにボートごとひっくり返りそうになったりボートから弾き飛ばされそうになったり・・・

 この海域は、ちょうど少し北にある嘉手納基地へ向けて着陸しようとする米軍機の飛行ルートになっているために、まさに真上を、ものすごい低空飛行する戦闘機や大型輸送機が頻繁に通り過ぎていきます。
 ものめずらしさから上を見ていたりすると、あっという間に弾き飛ばされてしまいそうです。

 終わる頃には弾き飛ばされないようにボートをおさえる太ももの内側の筋肉が張ってきて、いやぁ、見た目にだまされて甘く見ていた自分が恥ずかしい(^^ゞ
 ドラゴンボートを降りた後思いました。・・・これはれっきとしたマリンスポーツだと思います。

 ドラゴンボートを降りてすぐ、今度は「Uボート」というボートに乗りました。
 Uボートは前から見て「U」の字の形をしているため、左右のバランスが狂いやすいボートなので、ボートの進む方向が変わるときには重心を変えてボートの平衡を保つ必要が出てきます。
 Uの字型をしたボートに前後に2人が乗る形になるので、「気がついたら後ろの嫁さんが吹き飛ばされていなかった!」なんてことにならないように、自分が後ろに乗りました。
 そして・・・このUボート、最初から最後まで、バランスをとるために左右に体重を預け、ボートが転覆しないようにするのが精一杯でした。これがけっこう疲れる・・・A(^_^;)

 Uボートを降りた後、ヘトヘトになっている私に嫁さん、のんきに「おもしろかったね〜!何回転覆するかとおもったよ!」ですと・・・(-_-;)
 「転覆しないようにバランスとってたんだよ〜!」と言うと、「え?そうなの?私そんなの全然気にしなかったよ♪」ですって(苦笑)
 やはり、嫁さんを後ろにしなくて正解でしたA(^_^;)

 この日は台風が沖縄の近くに近づいていたということもあってかなり波が高い上、うねりもあったので、平たいボートの上にうつぶせに乗る「バンパーチューブ」は、「何回飛ばされるかわからないのでやめた方がいいです。さっきテストでやってみたら、ボートが木の葉のようにヒラヒラと舞ってましたよ(笑)」
 ということで、断念したのですが、そのかわりにジェットスキーの後ろに乗せてもらえることになりました。 

ジェットスキーに乗せてもらいました。これがまたハード!

 後ろに乗せてもらうとなるとすごく楽そうに感じるかもしれませんが、実のところこれが一番キツかったですね。
 写真のとおり自分が一番後ろに乗ったのですが、これまた嫁さんはすんごく楽なポジションだったようで終わった後も「いやぁ〜、たのしかったねぇ♪」ですって・・・(^_^;)
 こちらはまともにつかまるところがなくて、滑る足を何とか踏ん張って、シートの後ろにある取っ手を握り締めながら、何とか吹き飛ばされないように必死の思いでした。
 ボートがひっくり返らないようにセーブして運転していた時とは違い、運転するお兄ちゃんが思う存分振り回してくれたおかげで、スピードはそれまでとは比べ物にならないくらいに出るし、方向転換したときの横Gも直でくるし、こちらとしては嫁さんにしがみついて嫁さんごと吹き飛ばされたのではあまりにカッコがわるいのでひたすら全身に力を入れて耐えるのみ、でした。
 また、お兄ちゃんが遠慮なくその技術を見せつけてくれるものだから・・・(苦笑)

 ものすごくディープなスラロームや、360度ターン、連続180度ターンなど、こちらが吹き飛ぶように仕向けるかのようなテクニックの数々に、ひたすら「吹き飛ばされてたまるか〜!!!」の一心で踏ん張りました・・・A(。。lll)
 そして何とか、一度も吹き飛ばされることなく終了・・・もうヘトヘトですA(^_^;)

 そしてやはり、
 「楽しかったね〜♪(^o^)」
 「こちとら吹き飛ばされないように必死だったよ(。。lll)」
 「え〜、私はゼンゼン大丈夫だったよ(^o^)」
 という会話が繰り返されたのでした・・・(+_+)

 陸に上がって、冷静になって上空を見ると、戦闘機やら輸送機、偵察機やらがいわゆる「タッチ&ゴー」という、着陸態勢に入って滑走路に進入し、滑走路にタッチした後に再度加速して離陸するという訓練をくりかえしていました。
 地元のスタッフの言うには、「明日から台風で天気が崩れて演習どころではないから、おまえら残業してでも演習してこい!という事なんでしょ。普段はさすがにここまで頻繁にやらないからね。まぁ、ものめずらしいのも最初の数回だけだよ。あとはうるさいだけだから」という事でした。

機種はわからないけど偵察機。
円盤状のレーダーを背負っている。
かなり動きは遅い。
戦闘機。おそらくF14トムキャット(もしくはF15イーグル)
タッチ&ゴーを繰り返し、ものすごい急角度の旋回をしながら
離着陸訓練を繰り返していた。

 予想以上に(自分だけ)疲れたマリンボート体験を終え、ホテルへ帰ってきました。
 そして、ビーチに出ようということになり、カメラを持ってビーチへ・・・と、いうところで嫁さん、自分の写真を撮れと言い出しました(^_^;)
 自分としては、デジカメの写真はHPにのせられるように人物が写る写真でないものを撮りたいと思っていたのですが・・・嫁さんにはそこらへんのところを察してもらえるわけもなく、結局デジカメのメモリーがなくなるまで写真を撮らされました。

乗り気でなかったわりには悪くない写真が取れましたね(笑)
撮るとなると「もっと足をきれいに伸ばせ」とか「あと半歩前!」とか言ってしまう自分が悲しいσ(^_^;)
ホテルの部屋から見た夕焼け。こういう写真の方がHPに載せるにはふさわしいでしょ?

 そして夜になり、夕食。
 「ゴーヤチャンプルを食べてないよ〜!!これを食べないと帰れないでしょ?」(^^;;;
 と、いうことになり食べるものは決定。
 いろいろ調べていたところ、ホテルのレストラン「チュラティーダ」で食べられるということで、結局無難にホテルのレストランに行きました。

 レストランに入り、メインディッシュをひとつセレクトして、あとは沖縄料理のバイキング、というコースを注文しました。
 メインディッシュは私が牛フィレステーキ、嫁さんがホタテと伊勢エビのマヨネーズグリルをオーダー。
 そして沖縄料理のバイキングに料理を取りにいき、まずは

 「ゴーヤチャンプルお願いします!」(^o^)

 ゴーヤチャンプルはオーダーがあってから作ってくれるので、出来たてのものを食べる事ができました。
 感想は、「思っていたよりも苦くないなぁ、というか、かなりウマイ!」
 もっと苦味が強いものと思っていたのですが、ゴーヤの苦味があまりきつくなくて、他の食材の味を消してしまっていない絶妙なバランス。
 正直言って、こんなにうまい物だとは思いませんでした!失礼ながら(^_^;)

真ん中にあるのがゴーヤチャンプル。
それぞれの右にあるのは冷製スープ

 バイキングの方もひとしきり食べ終わり、まだメインディッシュはこないのかな〜、といった感じの時にまず嫁さんが、
 「すいません、メインはまだですか?もう食べ終わっちゃいそうなんですけど」
 と、まずひとつクレーム(^_^;)

 しばらくしてもまだ来ないので、また嫁さんが
 「もう食べ終わっちゃったんですけど、まだ出てこないんですか?(^_^メ)」
 と、語気を強めたクレームA(^_^;)

 しばらくして、嫁さんのほうの伊勢エビとホタテのマヨネーズグリルがようやくテーブルにやってきました。
 ・・・しかしながら、嫁さんのほうはすっかり満腹気味になってしまっていて、半分以上私が食べてしまいました。
 おいしかった、たしかにおいしかった。ただね・・・もうちょっとお腹がすいた状態で食べたらもっとおいしかっただろうな〜、と思わずにいられませんでしたね、さすがに。

伊勢エビとホタテのマヨネーズソテー

 伊勢エビを食べ終わってしばらくしても、まだ牛フィレステーキは来ない!
 そこで3たび嫁さん、
 「すいません!もう30分以上待っているんですけど、まだ来ないんですか!!?p(-_-メ)」
 「大変お待たせして申し訳ございません、もう少しお待ちくださいA(^_^;)」

 ・・・しばらくして、もっと偉そうな男性スタッフがやってきて、
 「大変お待たせしてしまって、本当に申し訳ございません。もう少しお待ちいただくあいだ、何か飲み物をお持ちいたしますので好きなものをお選びください。お値段の事は考えていただかなくてけっこうですので。」

 おぉ、なかなかサービスのことを心得ていますね。
 大抵、こういうトラブルが起こったときというのは、その後の対応で客が怒るか、かえって好感を持つかの分かれ目になるものです。
 それでは、ということで、せっかく沖縄に来たのだからと泡盛のメニューを見てみると、他のものに比べて値段にして2倍もする、地元北谷の泡盛がありました。
 それをみて嫁さんが、「そりゃあ一番高いのに決まってるじゃない!」
 ・・・A(^_^;)ということで、北谷の泡盛を注文しました。
 すると、そのスタッフは満面の笑みで「わかりました、すぐにお持ちします!」と言って去っていきました。

 少しだけ待つと、泡盛が運ばれてきました。
 まず、氷も何も入れずにクイッと・・・美味い!(*^.^*)

北谷長老古酒
出荷量が少なく、幻の酒と言われているらしい。
牛フィレステーキ
これが来た時にはもう、完全に満腹でしたA(^_^;)

 実は、それまで泡盛にはいい印象がありませんでした。
 お土産に買ってきてもらった泡盛が、けっこう臭いが強くて口に合わず、半分も飲まずに捨ててしまったということがあったので・・・
 しかし!この泡盛は、すごく飲みやすく、いくらでもいけてしまいそうな、すっきりとした口当たりと爽やかな香りのする逸品でした!
 これを飲む事ができたというのは、散々待たされたけれどある意味ラッキーだったな、と思えるほどでした。

 しばらくしてフィレステーキが持ってこられましたが、さすがにお腹がいっぱいで味わうとまではいきませんでしたね。
 きっとおいしかったんだろうと思いますが、満腹のお腹にステーキはキツかった!

 食事を終えて、レストランの出口に向かっていくと、各店員さんのひときわ大きい「ありがとうございました!」の声。
 そのなかには「飲み物を・・・」と言いに来た男性スタッフもいて、「どうもご迷惑をおかけしました、またお越しくださいませ!」と声をかけてきました。
 そして、レジのところへ行くと、レジ担当の方までが「大変ご迷惑をおかけしました」と一言。

 う〜ん、ここまでしっかりと各店員さんに話が伝わっていて礼を尽くしてくれると、好感を持たずにはいられませんよね。
 待たされたことなどどうでもよくなってきました。
 店員さんそれぞれも気さくに話しきてくれるし、かなりの好印象。
 まだホテル自体開業してひと月経っていないわけですし、トラブルが起こるのは仕方がないでしょうし、店員さんの応対の良さで悪い印象はまったく残りませんでした。 

ホテルのフロント エントランスロビーから2階へ登る階段
ホテル全体に非常に緑が多いです

 食事を終え、ホテルの2階にあるコンピュータールームに行きました。
 自分のホームページの掲示板を見て沖縄から書き込むという、なんだか不思議な、新鮮な経験でしたね。

 部屋に戻って考えてみると、今日は本当に内容の濃い1日でした。
 心地よい疲れと共に、今日もオリオンビールを飲んだ後、深い眠りについたのでした・・・zzz

ホテルの客室は中央が吹き抜けになっていて、上空には星空が見えます

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